• ロリオン・グレイシー
  • ロリオン・グレイシー

ロリオン・グレイシー

ロリオン・グレイシー  ロリオンはヘリオ・グレイシーの長男で、よちよち歩きの頃から道着を着ていました。2歳の時には既に父と公の場で柔術を実演していました。まだ若い頃にグレイシー柔術のコンセプトを学び、父の監督下で指導方法を学習しました。ロリオンは世界各地へのブラジリアン柔術の普及に努めています。

1969年、ロリオンは旅行でアメリカに3ヶ月滞在しました。ニューヨークやワシントンの親類を訪ねた後、カリフォルニアに移動し、ハリウッドYMCAに滞在しました。帰りの航空券とともに現金をYMCAの貴重品ボックスに入れていました。数週間後、ブラジルに帰ろうとボックスを開けると、お金とチケットが盗まれていることが判明しました。しかし、両親を心配させたくなかったため、もう少しカリフォルニアに滞在すると伝えました。知人を通じて、ロサンゼルスのすぐ北西にあるサンフェルナンド・バレーのハンバーガーショップで働き口を見つけました。数日後、同僚の家族の家に一緒に住むことにしました。6ヶ月後、ロリオンは仕事に飽き、ブラジルに戻りたくなりました。戻る前に、友人の勧めによりハワイに寄ることにしました。

ロリオンは、お金が無くなるまでハワイで楽しく過ごしました。一時、お金に困って、物乞いをしたり路上で新聞紙の上で寝たりしました。最終的に仕事を見つけ、1970年末にブラジルに帰国しました。

1972年の夏、アメリカに行きましたが、ブラジルに戻ってリオデジャネイロ連邦大学に5年間通い、法学部の学位を取得して卒業しました。この時、ロリオンは自身にとって最大の決定を下しました。アメリカに戻ったのです。永久に。

1978年、ポケットになけなしの2,000ドルを入れ、グレイシー柔術を世界に広めるために南カリフォルニアに移住しました。映画やテレビでバイトもしました。その時、ガレージにマットを敷き、知人を無料で柔術レッスンに招待したのです。生徒がその友人を連れてくると、その者たちにも無料クラスを提供しました。噂はたちまち広まり、数年後には1人では対処しきれない数の生徒数に膨れ上がりました。そして1985年に、当時18歳だったロイスをアメリカに呼び寄せたのです。

ある日、映画撮影の現場でリチャード・ドナー監督に出会い、少し実演すると、リーサル・ウィアポン1、3に出演していたメル・ギブソンやレネ・ルッソの格闘シーンの振付をしないかと誘われました。さらにPlayboy誌や世界各国の主要な格闘技雑誌にロリオンの経歴や、彼の護衛術としてのブラジリアン・システムが紹介されました。

1988年にロリオンはGracie Jiu-Jitsu In Action™というドキュメンタリー映画を作成し、グレイジー一族とその生徒が様々な格闘技の使い手とリアルファイトを行う様子を収めました。このビデオは、観た者に賛否両論を巻き起こし、すぐに世界の注目の的となりました。アメリカ中の有名な格闘家たちが、グレイシー柔術を学ぼうとカリフォルニア州トーランスを目指しました。

1989年までに、ガレージに毎週通う生徒数は120名となり、80名が待機リストに載りました。ガレージでは手狭になったため、後にグレイシー柔術の世界本部となる拠点を開くことを決意しました。

アメリカにGracie Jiu-Jitsu Academyを創設して4年経った1993年、ロリオンは、グレイシー柔術を広める最も効率的な方法は、テレビであることに気が付きました。その結果がUltimate Fighting Championship®(UFC)の設立でした。この有料テレビ番組を通じ、「時間無制限、ルールなし」という試合の中で、自分より大きく強健な相手を倒す護身術は、グレイシー柔術だけであることを示そうとしました。ロイスを含め、世界中から有名な格闘家7名を集め、勝ち残り式のトーナメントを開催しました。ロイスは参加した選手の中で最も小柄でしたが、彼はグレイシー柔術の基本的な技術のみで全員を倒して初代UFCチャンピオンとなり、世界を驚かせました。(これ以来、格闘技の世界はそれ以前のものとまったく異なった世界となりました。

グレイシー柔術の技術のシンプルさと効果に驚いた者の中には、米軍の中で最もエリートのユニットの中の上級幹部のグループも含まれました。1994年、彼らはロリオンに連絡し、グレイシー柔術の技術を使って白兵戦での戦い方のクラスを担当してもらうよう要請しました。そしてGracie Combativesが生まれたのです。当初は、このエリート戦術部隊のみに教えていましたが、米陸軍レンジャーや他の軍ユニットもこのクラスの技術をすぐさま採用していきました。2003年に、米軍はグレイシー柔術を公式に採用し、ロリオン・グレイシーが教えるすべての技術を白兵戦マニュアルに加えました。

教養人としてのホリオンは、指導ビデオやドキュメンタリー、「Gracie Total Defense」という指導用CD-ROMを製作していきました。彼のスペシャルプログラムであるGracie Combatives®は、主要な連邦法執行機関や軍部、さらには多くの州、地方警察で採用されていきました。1995年には、Women Empowered®を開発し、12の技術を使って女性が性的暴行から身を守る方法を教えるコースを立ち上げました。その後、G.A.R.D.(Gracie Air Rage Defense)が作られ、客室乗務員が商業航空機の中で規則に従わない乗客を制圧する方法を紹介しました。

ロリオンは、妻シルビアと南カリフォルニアに住み、一族の伝統が何世代も受け継がれることを確信しています。将来ある日、彼とその10人の子供の何人かがGracie Academyで教え、練習し、家族の伝統を守っていることでしょう。