• リクソン・グレイシー
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リクソン・グレイシー

リクソン・グレイシー ヘリオ・グレイシーの3番目の息子であるリクソンは、グレイシー柔術一家の名門に生まれました。リクソンは6歳の時に試合を始め、15歳で指導を始めました。彼は18歳で既に黒帯を取得しています。さらに20歳の時、140連勝の記録を持っていたズルという105キロのブラジル人格闘家に対し驚異的な勝利を収めました。この勝利によって、リクソンはブラジルのトップフリースタイル格闘家の称号を与えられ、グレイシー柔術とGracie Challengeの歴史にその名を刻みました。それから5年後、ズルは再試合を要求しましたが、20,000人の観衆の前に、Maracanazinhoスタジアムでズルは再度敗れました(この試合はGracie Jiu-Jitsu In Action 1で閲覧可)。

1989年にロリオンロイスロイラーの兄弟によるGracie Jiu-Jitsu Academy創設を手伝うため、アメリカのカリフォルニア州トーランスにリクソンは渡りました。

リクソンは黒帯7段の保持者で、グレイシー柔術を最も極めた男として見なされています。生まれつき才能を持ち、グレイシー柔術を若い頃マスターしてからは、柔術大会、フリースタイル・レスリング、サンボ、オープンウェイト・フリースタイル大会、無制限ルール大会、リクリエーション・スパーリング等で、400戦無敗の記録を作りました。リクソンは、フリースタイル・レスリングで2度優勝、サンボで金メダルを獲得し、ほぼ20年間に渡ってミドル級、オープンウェイト世界ブラジリアン柔術のチャンピオンとして君臨しました。1994年と1995年に、日本のメジャー大会である日本オープンバレ・ツードに出場し、2回とも優勝しています。この期間を通じ、日本の格闘技ファンは、リクソンの中に「サムライ精神」を見い出しました。

1997年に東京ドームで行われたプライド1バレ・ツードに参加し(観客47,860人)、日本のトップランクの格闘家である高田延彦を1ラウンド4:47で破りました。その1年後に、再び東京ドームで高田延彦と戦い、50,000人の観客の前で再度勝利を収めました。さらに数年後に、東京ドームでコロシアム2000が開催され、日本ナンバー1格闘家の船木誠勝を打ち負かしました。テレビの前の3,000万人がこの試合を観戦し、第1ラウンド11:46でバックチョークで勝ちました。

リクソンは、選手としての力と同じくらいの力を指導者としても証明しています。30年間に渡り一族の格闘技を教え、その教え子はFBI職員、SWATチーム、海軍シール部隊、軍人、各種格闘家、運動選手、俳優におよびます。彼は現在スペシャルツアーとセミナーで教えています。